『奉仕の気持ちでやりなさい』
なんかいつもと違って、自分の気持ちを述べることも大事かなぁと思ったので、今日はそんな自分の気持ちを綴りたいなと思います。
僕の母はよく「奉仕の気持ちで何事もやりなさい。」と言っていました。
正直僕は理解ができませんでした。
奉仕って聞くと様々な事柄が想像つくと思います。例えば、無償の気持ちで、何も見返りがなく他人を助ける。とか。
お世話になっている方にプレゼントする。とか。
何も見返りがなく他人を助けることは良くしていたと思います。しかし、めっちゃくちゃケチだったので、誰かに物をあげるのも渋っていたり、ちょっとしたことでも損をすることが嫌だと思っていました。
なぜでしょう。たぶん、自分が損をするのが嫌だったんでしょうね。
しかしそもそも、奉仕ってなんなのでしょう?
辞書で調べてみると
「報酬を求めず、また他の見返りを要求するでもなく、無私の労働を行うこと。」
と書いてありました。
みなさんが想像する意味と一緒だと思います。
見返りを求めず何事もせよ。ってことですね。
母は偉大です。母ほど尊敬できる人はこの世にいないです。
しかし、こればかりは何故か納得がいかなかった。というか、見返りがないのにする意味は?といった部分でお高く止まっていたのだと思います。
本当に最低ですよね。しかし、それが昔の僕だったのです。
それから数年が経ち、社会人になった今、奉仕の気持ちで何事も行うこと、そして本当に無償でやった時に得られる物を肌で感じました。
まず、僕は毎月募金をしています。
偽善者と言われるかもしれませんが、僕は鋼の錬金術師を見た方ならわかると思いますが、やらない善より、やる偽善と言う言葉はその通りだと思っているので、何を言われても構いません。
では、募金をして何が得られるのか?もちろん、形に残るものは返ってきません。でも視点を変えてみると、僕が稼いでいるお金で助かる命がそこにあるのです。
僕は医者でもないですし、看護師でもないです。警察でもなければ消防士でもない。
命を救うことがないのです。相当なことに直面しない限り。
そんな僕が命を救うきっかけになるのです。
ただある僕のお金、言うならば紙切れで、未来の子供達の笑顔になるなら、見返りなんかいらないです。
次に、他人に物をあげてみました。
特に特別がない時、僕はプレゼントなんかしません。
この間、友達にケーキを買いました。
本当に喜んでいました。少し高かったです。しかし、その友達の笑顔が見れたら、お金のことなんか忘れています。
全部綺麗事に聞こえるかもしれませんが、何が言いたいかと言うと、幸せを感じるにはお金は必要ないと言うことです。
上記は全てお金で幸せを得たようにおもうと思います。もちろん、そうです。上記はお金を使いました。
しかし、些細な幸せとは意外と身近にある物です。両親の家事を手伝う。彼女や奥さんに料理を振る舞う。そこで見せてくれる笑顔というものは、お金に変えられない価値があるのです。
昔は奉仕という言葉の本当の意味を知らなかった。
しかし、社会人になり本当に『奉仕』の意味を知ったし、そこにある幸せを見つけることができました。
もちろん、人にもよります。
僕の言っていることは綺麗事と思う人もいるでしょう。
お金が全てという人もいるでしょう。
しかし幸せとは意外とそこらへんに落ちているものだと思いますし、幸せを作ることもできます。日々の幸せは気付きにくいかもしれません。人は人生が最高だったかなんて、棺桶に入るまでわかりません。
だからこそ日々の幸せを大事にしていきたいです。
もっともっと僕にそして、皆様に『幸せ』が訪れる世界であってほしいと思います。